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仙台高等裁判所 平成4年(ラ)49号 決定

抗告人

小野正弘

佐藤弘美

抗告人ら代理人弁護士

佐々木洋一

主文

本件抗告をいずれも棄却する。

理由

1  本件抗告の趣旨及び理由は、別紙抗告状写しに記載のとおりである。

2(1)  抗告の理由1は要するに、相続放棄申述事件につき、家庭裁判所が審理できる範囲は、申述書が法定の形式的要件(家事審判規則第一一四条)を具備するか否かの点及び申述が申述人の真意に基づくものであるか否かの点に限られるべきであり、申述が真に熟慮期間内になされたか否かの点は、終局的には民事訴訟手続において確定されるべき事柄であって、家庭裁判所はこれを前提として、右の点については一応審査するに止めるべきにもかかわらず、原審判には、右相続放棄申述受理の審判の審理の範囲を超えて審理判断した違法がある、というのである。

しかしながら、相続放棄申述受理が家庭に関する事件につき後見的役割を担う家庭裁判所の審判事項とされていること及び相続関係はその性格上できるだけ早期に安定化を図る必要があることからしても、家庭裁判所は、相続放棄申述事件について、申述が相続人の真意に出たものか否かの点と同様、法定の熟慮期間内になされたものか否かの実質的要件をも審理、判断すべきものと解するのが相当である。ただ、申述受理の審判は基本的には公証行為であること及び申述の効力は終局的には訴訟手続で確定されるものであって、審判手続で申述が却下されると相続人は訴訟手続で申述が有効であることを主張できなくなることからして、申述受理の審判での審理は一応のものに止め、その結果、申述の要件を欠くことが明白な場合においてのみこれを却下することができ、そうでない限り申述を受理し、その効力の有無について本格的審理を必要とするときは、判断を訴訟手続に委ねるべきである。

記録によれば、原審においては一応の審理が行われたに止まることが認められるところ、その結果、後記のとおり本件相続放棄の申述が熟慮期間経過後のものであることは明白というべきであるから、これを却下した原審判に、その審理判断に関し何らの違法もないというべきである。

従って、抗告人らの主張は理由がない。

(2) 抗告の理由2は要するに、抗告人らの熟慮期間の起算日は、抗告人らがその主張する交通事故に基づく損害賠償請求の訴状の送達を受けた日、すなわち平成三年九月一九日である、というのである。

しかしながら、熟慮期間は、抗告人らも引用する最高裁判所判決(民集三八巻六号六九八頁)の判示のとおり、原則として、相続人が、相続開始の原因となった事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った時から起算すべきであるが、例外的に、相続人が上記事実を知った場合であっても、上記事実を知った時から三箇月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが、相続財産(積極及び消極財産)が全く存在しないと信じたためであり、かつ、このように信ずるについて相当な理由があるときには、熟慮期間は、相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算すべきものと解するのが相当であり、相続人が相続開始の事実と自己が相続人となった事実を知った時既に積極であれ消極であれ相続財産の一部の存在でも認識し又は通常であれば認識しうべかりし場合は、熟慮期間の起算点を繰り下げる余地は生じないのである。

記録によれば、原審判が認定する本件の事実関係は、優にこれを認めることができ、この事実関係の下においては、本件の熟慮期間の起算日は、抗告人らにおいて被相続人小野新作が死亡したことを知った平成三年二月二一日であるというべきであり、本件相続放棄の申述が受付けられたのは平成三年一〇月二九日であること記録上明らかであるから、本件相続放棄の申述は民法九一五条一項に定められた期間を経過した後になされたことが明らかである(原審判が、損害賠償債務について説示する部分は、付加的理由として説示していることが明らかである。)。

3  よって、原決定は相当であり、本件抗告は理由がないからこれを棄却することとして主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官豊島利夫 裁判官田口祐三 裁判官菅原崇)

別紙

抗告の趣旨

原審判を取消す。

抗告人らの相続放棄の申述を受理する。

との裁判を求める。

抗告の実情

1 原審判は、抗告人(申述人)らが、被相続人が死亡した日に、相続開始の原因たる事実があったこと及び自己が法定相続人となった事実を知ったことを認めたほか、抗告人らが別件損害賠償請求事件(仙台地方裁判所平成三年(ワ)第一三五五号。移送前の事件の表示福島地方裁判所平成三年(ワ)二五二号)で請求を受けている損害賠償債務を負担することのあることを認識し得たこと等を認定判断して、本件各申述は、熟慮期間経過後の申述であるとして、これを却下した。

ところで、相続放棄申述受理は、審判とはされているが適式な申述がなされたことを公証する実質を有するにすぎないものであって、真に相続放棄の要件があるか否かを終局的に確定するものではない(最二小昭和四五年一一月二〇日判決、家裁月報二三巻五号七二頁ほか)。右審判の審理の範囲は、申述書が法定の形式的要件(家事審判規則一一四条)を具備するか否かの点と申述が申述人の真意に基づくものであるか否かの点についてだけであり、真に熟慮期間内に申述がなされているか否かについては、終局的には民事訴訟において確定されるべき事柄であり、右審判の審理の対象とはされるべきではない(最三小昭和二九年一二月二一日判決、民集八巻一二号二一頁、札幌高裁昭和五五年七月一六日決定、判例タイムズ四二五号一四七頁参照。沼辺愛一「相続放棄申述事件の審理」判例タイムズ二五〇号一五九頁、丹宗朝子・相続の法律相談第三版二八四頁同旨)。このように解さなければ、一旦、相続放棄申述却下審判が確定すれば、申述人が後の民事訴訟において相続放棄申述の期間遵守につき立証し得たとしても相続放棄はなし得ないこととなり、審判手続において十分な手続的な保障を受けているとはいいがたい申述人にはきわめて過酷な事態となってしまう。又、相続放棄の申述が受理された場合、後の民事訴訟において、右受理が熟慮期間経過後のものであることを争い得ることは異論がないところであり、これは期間遵守の点について終局的に確定するのは民事訴訟においてであることを前提とし、受理審判においては右の点につき一応の審査はするものの真の審理事項ではないことを意味するというべきである。

原審判は、相続放棄受理の審判の審理の範囲についての誤った見解に基づき、前記のように熟慮期間の遵守につき踏込んで審理し、微妙な点についても、申述を却下する方向で断定的に認定しているが、右判断は同審判の審理すべき範囲を逸脱しており、この点だけでも原審判は違法であり取消されるべきである(原審判は、後記最昭五九年判決の線に沿って判断しているようであるが、右判決は民事訴訟(貸金等請求)におけるものであり、右判決判断の枠組みをそのまま受理審判にもちこむことは相当ではない。)。

2 申述受理審判において、熟慮期間の遵守につき実質的な審理判断をなしうるとしても、次のとおり、抗告人らの熟慮期間の始期は、別件訴訟の訴状の送達を受けた平成三年九月一九日というべきであり、本件各申述が同日から三ケ月内になされたことは明らかであるから、右各申述は受理されるべきである。

すなわち、

(一) 熟慮期間は、相続人が相続財産(相続すべき積極及び消極の財産)の全部又は一部の存在を認識し又は認識しうべき時から起算すべきである(最二小昭五九年四月二七日判、判例タイムズ五二八号八一頁)。右認識の対象となる相続財産は、熟慮期間の趣旨からすれば、社会通念上、少なくともその存否を知らなければ相続放棄をするか否かの正常な判断がなし得ないと評価できるものでなければならない。本件の場合には相続債務として交通事故による損害賠償債務四八三四万円余りが別件訴訟で請求されているが、仮に右損害賠償債務が相続債務として存在するならば、これの存在を知らないでは相続放棄をなすか否かの正常な判断は到底なしえないことは明らかである。原審判は、相続財産として宅地、山林、各一筆が存在し、抗告人らがこれを相続開始前から知っていたことから、起算日を相続開始を知った時点より繰下げられないことは明らかであるというが、右判断は、前記最判の判示を機械的にあてはめただけでその趣旨を正解しないものといわざるを得ない。ちなみに、右宅地等は、被相続人のほとんど唯一の積極財産であったが、抗告人らは、特別受益証明書を発行して、これを兄小野正志が単独で取得できる手続をして実質的な相続放棄をした。抗告人らが、このような手続をとるに留め、正式な相続放棄申述手続しなかったのは、相続財産中に大きな消極財産は存在しないものと考えていたためである。もし請求を受けたような高額な相続債務があると知っていたならば、消極財産のみを引継ぐことになる前記手続をとらず、相続放棄申述を行なったはずである。

(二) 抗告人らが、本件各申述の三ケ月より前に、相続債務として昭和六三年九月九日仙台市若林区大和町一丁目における交通事故(以下「本件事故」という。)の加害車両の運行供用者責任に基づく損害賠償債務を負担しうべきことを認識していなかったことは明らかである。では、抗告人らは、本件各申述をなす三ケ月より前の時点でこれを認識し得べきであったか。次に述べるとおり、抗告人らにおいてこれを認識し得べきであったとは到底なし得ない。

① 本件事故時、加害車両の自動車登録ファイル上の使用者名義は、被相続人であった(所有者名義は、ディーラー)が、加害車両の実質的な所有者は、抗告人らの従姉妹の柴又節子(同人は、幼少時に両親が離婚し、その後間もなく親権者となった父が死亡したため父方の叔母である抗告人らの母とその夫の被相続人宅に引取られ、以後、抗告人らとは兄弟同様にして成長した)であった。右車両は、もと抗告人佐藤弘美の所有に係るものであったが、昭和五九年一一日に同抗告人が婚姻により古川市に転居する際に柴又節子にその購入時の債務を引継ぐことを条件にして贈与したものである。右車両はもっぱら柴又が使用し、柴又は、加害車両の所有者として、右購入時の債務を完済し、維持費等の経費もすべて負担するなどしていた。

② ところで、被相続人は、昭和四九年来脳溢血の発作を数回起こして死亡するまでほとんど病床にあった。昭和六〇年五月には脳血管障害による両上下肢機能障害によって第二種三級の身体障害者と認定を受けて身体障害者手帳の交付を受けたが、その際、仙台市の社会福祉関係の職員から、世帯に身体障害者がいる場合、自動車を身体障害者名義にしておけば、自動車税の免除を受けることができる旨の教示を受けたので、加害車両の使用者名義は、同年五月二四日それまでの「オノヒロミ」(抗告人佐藤弘美の婚姻前の氏名)から被相続人名義に変えられた。

(以上①、②の経緯についての詳細は、抗告人ら代理人が抗告人ら及び小野正志、柴又節子らから聴取した内容を記載して作成した別件訴訟の抗告人らの平成四年二月一七日付準備書面参照)

③ 上記手続は、抗告人佐藤弘美の関与なしになされたものであり、同抗告人は、右名義変更についてまったく知らなかったし、右車両を贈与後は自動車名義に関心をもつことはなく、別件訴訟を契機にして初めてその名義を確認するに至った。

④ 抗告人小野正弘は、高校卒業後東京方面で就職し、以来、東京近辺に居住し、両親宅の近くに居住したことはない。同抗告人は、本件事故前はもとより本件事故後も柴又が使用していた自動車の名義がどのようになっていたかなどまったく知らず、別件訴訟を契機にして初めてその名義を知るに至った。

(三) 原審判は、単に抗告人らが本件事故をその発生から間もない時期に知ったことを摘示して、これにより即、賠償債務の存在すべきことを知ったかのように述べているが、上記の事情からすれば、事故発生を知ったからといって、抗告人らが被相続人の賠償債務の存在を知り得べきであったとはなし得ない。

(四) 仮に原審判が、(二)の①ないし④の事実を実質的に認定したうえで右判断に至ったとしても(審判文からは到底そのようには解し難いが)、そのような必ずしも単純ではない事実関係を審判手続で確定して後に民事訴訟で立証をする機会を奪うに足りるほど確固たる認定がなし得たとは考えがたいし、またそのような認定を相続放棄受理の審判で行なうことは妥当性を欠くといわざるを得ない。

3 以上のとおり、原審判は、法律の解釈と事実認定を誤ったものであるから、これを取消して、抗告人らの相続放棄申述を受理すべきであり、もし、事実関係につきさらに調査が必要であるならば、原審判を取消したうえ、差戻すべきである。

よって、本件抗告に及ぶ。

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